赤天神が暮らす街
 豊橋
赤天神が生まれた街/豊橋
街には「こと」があり
街には「もの」があり
街には暮らす「ひと」がいます

ずっとこの街で暮したい
赤天神がこの街・豊橋を巡ります

豊橋の街を歩いてみれば、
歴史の息吹、
吉田宿の面影、
山や海が
織りなす景色、
豊かな農業や最先端の取り組み、
暮らす人々の笑顔や涙が
豊橋浪漫を伝えていきます
ずっとこの街で暮したい
とよはしロマッチックストーリー。

かつて豊橋では天神様にあやかり
子供の健やかな成長と学業上達を願い
机上に赤天神を飾る風習がありました

子供の健康 学業上達 無病息災
進学・資格・就職試験成就 祈念

HISTORY
明治11年まで花園町の一部は垉六町と呼ばれ、土器や陶器の生産・販売が盛んな地域で、その一環で子供の玩具なども、細々と作られていました。文化文肢の頃、京より旅役者杉浦幸次郎が来て、豊橋で赤色の天神、鳩笛等を製作売り出したのが始まりです。明治32(1899)年、その弟子の吉田孫吉が曲尺手(かねんて)町で独立し、赤天神を含む、吉田土人形を制作し世に広めました。昭和2(1927)年、吉田孫吉の弟子、西村茂治が東田(あずまだ)町にて独立し、赤天神などの制作活動を行い、「新吉田土人形」という誉名で大成致しました。
桃の節句は女子の雛様を飾りますが、東三河地方のかつての風習で、男児が天神様(菅原道実公)にあやかって文筆に秀でるよう切望し、この赤天神を雛壇の一偶に必ず飾り、天神様の御神徳のもと、子供の学業上達、無病息災を願いました。やがて進学や資格、就職試験の際、赤天神を机上に安置すれば入学疑いなしと云われていました。
詳しくはこちら
吉田天満宮ご祭神:天神様(菅原道真公)

BIRTHPLACE 赤天神がいる街

赤天神が豊橋の街を歩きます
赤天神が暮らす街 豊橋

赤天神が暮らす街

豊橋

土をこね焼き、素焼きに胡粉をかけ絵付けまで人の手でていねいに行ないます。
顔もひとつひとつ違い、同じ物は一つとしてありません。